身に余る大金は何処からこぼれるのか?
今までそれは「器」だと思っていた。
けど、最近は違う。
日々の習慣からこぼれ落ちるものだと思う。
金持ちの「器」を因数分解すると、金持ち足り得る日々の習慣がある。
無駄遣いしない習慣や考え方、思考の数々。
お金がたまり続ける生活や仕組み、環境。
そういう一つ一つは小さいけれど、毎日毎週毎月毎年何度も繰り返している習慣こそがお金持ちを形作る。
宝くじなどで大金が当たる妄想を自分もよくする。
アレ買ってー、これ買ってーと思い馳せる。
しかし、宝くじの的中率や高額当選者の末路などを知ったりすると、お金を使う妄想で終わらなくなる。
多分、今の自分に大金が降ってきてもこぼれ落ちちゃうだろうなーと考えるようになった。
大金を貯めたこともなければ、大金を使ったことがないからパニックになるだろう。
資産運用の本を読み、大金の活用法を勉強する。
しかし、手元にお金はなく、賃金も安く、貯まるスピードは気が遠くなるほど遅い。
となると、せっかくの資産運用の知識も宝の持ち腐れになる。
だからこそ、平凡な人はどこかで大きなチャンスをものにしないといけない。
それは仮想通貨なのかもしれないし、宝くじなのかもしれない。
チンマイお金を積み立てながらも、一発の大きなアタリを狙う。
この姿勢だと思う。
宝くじやいきなり手にする大金は、貧乏人たる習慣からこぼれ落ちると書いた。
しかし、一方でお金持ちになるにはその大金(まとまった資金)が必要になるのである。
んー自分で言っといてなんだか、矛盾している。
身に余る大金が降って湧いた時に何をしたいか。
その欲望が本当に自分の欲望なのかを見極めるべきだ。
そんなに車が買いたいのか、そんなに家電がほしいのか・・・。
人は他人が欲しいものが自分の欲しいものにすり替わる。
欲しいものが、本当は今必要でないことは多々ある。
渇きを潤すように求めるよりも、日々少しでも満たされるようなお金の使い方をするべきだ。
そう出来ない人が多い(そして、そうすることで苦しんでいる)世の中なのだから。
働く必要がなくなった時に、何かしたいと思うものこそ(採算度外視・食える食えないを気にしない)本当にやりたい仕事だと思う。
日々の労働で稼ぐ必要がなくなった時に、必要だと思えるものが本当に必要だと思う。
今の自分はそれが健康と筋肉。
つまり、日々の健康的な食事とジム通い。
そして、読書による知識の蓄えやFXによる投資スキルの向上。
もっと高レベルな読書の習慣や、勝ち続けるFXの習慣を身につけるのが課題。
食事とジムは以前とは比べ物にならないほど良い習慣として身につき、改善を重ねられている。
ここから、これから。
p.s
完璧に理論を整えてからブログ記事を書くべきだっていう考えがずっと自分の中にある。
それがすごくストッパーになっていた。
でも、それじゃ良いものは書けないと思った。
たくさんの失敗の山を気づいてこそ、それが礎になると。
間違えて、恥かいてこそ成功がある。
失敗は成功の母。
沢山書かないと、良い文章にはたどり着けない。
理論が飛躍していようが、不勉強な内容だろうがいいじゃないか。
ブログは積み重ねの体現。
あとで振り返って、成長を確かめれるツールだ。
失敗を恐れず、書こう。