6年も負けてるよ・ω・
はてなブログっていいよね。
2年前のあなたはこんなお馬鹿なトレードをしてましたよってメールで過去の過ちを教えてくれる。
なんと、5年前の同時期の記事も案内してくれる。
ブログ始めた頃やないかーい。
負けてるけど(人生もトレードも)、ブログやっておいて良かったー。
過去を振り開けるツールとしては日記やノートに行動記録を残しておく習慣があったのは良かったと思う。
久しぶりに、というか本当に久しぶりに自分のトレードを見直した。
自分の過去の駄目トレードを直視できるくらいまで精神状態が回復したということで前向きに捉えている(笑)
よっし~さん
の影響を受けて心理もローソクから読み取れないのに1分足に手を出してボロボロに負けていた7月の頃。
もうココらへんで心が折れていた。
2016年の後半はホント、個人的には日記をつけているから何をしているかは分かるのだが、記憶には全くといっていいほど残っていない。
誰とも喋らず(今も休日はそうだが)、対人コミュ障になり、やることなすこと裏目に出て、というより正しい努力もしてないから正しい結果も出るはずもなく・・・。
今借金もなく、とりあえず元気に働けて、筋トレできて、読書できていることだけが幸いでござる。
しかし、これといった実績も結果もないのが男として終わっているなぁと思うのを除けば、まぁわりかし背負うものもなく身軽なので再起動・再始動はしやすい。
最後の自分のFXの状況をまとめた記事を見て思う。
挙げている課題が多すぎる。
一つに絞るべきだった。
いや、課題が多いのは当たり前というか話が分かるが、こなすことを一つにしぼりきれないのが敗因だった。
環境認識なら環境認識でずっとやる。
心理を読む訓練ならそれをひたすらやる。
飽き性だとか、エロ動画見るのがやめられないとか言っている場合ではない。
リアルの女性を抱くための資金活動が一日一日と遠のく度に、努力していない日を後悔する。
FXに話を戻すと、一つの手法、一つの武器を愚直に磨くべきだった。
色々と知識が増えて、本質を探しているのにも関わらず本質を見失うという最悪の迷路にはまり込んでいた。
聖杯はないと分かっていながら、エントリーを当てようとし、損切りを当てようとしていた。
それは、自分の考えが正解であると相場に押し付ける行為であり、それは自身が聖杯を持っていると言っているのと変わらなかった。
損切りを当てるとは、あとで振り返って完璧な価格帯で切っていること。
もし損切りが当てられるなら、最初からエントリーでプラスを狙って当てることも可能である。
エントリーが当てられなくて簡単には勝てないからこそ、損切りも当てられない。
損切りこそがトレーダーが唯一コントロールできる部分であり、エントリーに際し損切りは決めておくもの。
損切りを当てるというのは、そのエントリーと同時に設定するルールを破って、行き当たりばったりのトレードをしている証拠。
行き当たりばったりのトレードは、行き当たりばったり破産しまっくているのと同義だ。
プランなきアクションはプロじゃない。
ということで、まず課題を一つに絞って愚直に訓練すること。
今はリハビリ期間ということで、MT4の立ち上げというバカバカしいほど小さい習慣は2週間は続いている。
この小さな習慣はいずれ勝ち続けるために必要である、努力し続ける姿勢の小さな一歩である。
小さく稼げるようになっても、検証を繰り返し手法を増やしたり強化したり、メンタルの安定を作ったりして、大きい勝ちに育てていくためにも必要なこと。
小さい習慣を今までバカにしていたけど、自分のだめな頃のトレードを受け入れられたりして、ちょっとづつ改善できているのが嬉しい。
これはめっちゃ小さいけど成長だと思う。
続けてい生きたい。
そして自分を否定せず、自分を応援してあげたい。