自分の目で見たものだけが本物
トレードはすべて情報で完結する。
では、どうやって情報をシバいて稼ぐのか、技術を磨くのか。
知識を知ることだけで勝てるなら苦労しない。
それなら知識を知る方向に労力を割ける人のみ(パワーとスピード)が大勝できる。
それはもう財布勝負になり、お金持ちや大富豪がさらに富めるだけになってしまう。
それすなわち、知識を求めれば勝てると思うことは聖杯探しとなる。
聖杯は見つけれたら負けなし。
しかし、現実には知識を知るだけではお金持ちに慣れない。
98%の人間は手を動かして行動しないとお金は生まれない。
チャートやトレードは完全に情報ベースの上に成り立っているが、FXで勝てる、相場で生き残るは全部行動ベースで得た結果や思考や努力のプロセスの上に成り立っている。
けっして、仮想じゃない。
仮想の努力ってただの妄想だし。
だから、必要なのは最初から最後まで知行合一って言葉。
あとは自己責任。
投資は自己責任、人生も自己責任。
自責マインドで切った張ったをする覚悟があるものだけが、生き残るだろう。
トレードは仮想である。
リアル、実物のお札やコインで為替を交換しているわけではない。
取引所を通じて法定通貨のやり取りをしている仮想の遊びだ。
通貨の流動性を作るという役目はあるが、それ以外は取引所や数少ない勝ち組に献金するだけのゲーム。
そう、大音量の音楽やギラギラ光る眩しい照明がないパチンコみたいなもの。
しかしトレードは淡々と行われるし、BGMはない。
チカチカと光り、射的心を少々煽るような売買ボタンなどはあるが、基本的に上げましたー/デューン!/下げましたー!/ガシャーン!/みたいな演出はない。
まぁ、そんな演出したらすぐさま規制が入るか、破産者続出だったろう・・・。
それと同じぐらい億り人が出る頻度も上がったろう。
ごくごく短期間の間だろうが。
チャートは触れないし、手法は文字ベースの情報でしかない。
(映画LUCYで0と1の通話情報を空間から手で触って抜き取るシーンを思い出した。あのマトリックスに出てくる緑のコードみたいな情報)
トレードはすべて情報で完結する。
今やネットバンクもあるから、お金には一切触れず、ただ数字が増えたり減ったりするだけ。
出金して現ナマ、現金を手にしない限りは現実感はない。
クレジットカードで支払いをすれば、トレードで勝っても得られるのは現金ではなく、商品という形で終わる。
実際に目の前で何千万を5分か10分で取引して負ける人よりも、塩漬けというスイングトレードで長い期間に渡って真綿で首を絞められるような削れられ方をしているのが多い印象。
カジノではたった数分で数十万の切った張ったを何時間も繰り返し、一夜でトータル数千万負けるみたいな事はある。(例、大王製紙の溶けるの人)
そんなのは非日常だ。
日常から見たら狂っている。
でも、仮想だから続けれられる。
仮想と思わされるから続く。
現実なんだけど、現実じゃないと思えるから・・・。
パチンコはお金かけてる現実はあれど、過剰とも言える数多の演出で非現実っぽい。
カジノは日常とかけ離れているところで賭けるので非日常。
一方、FXや株は日常の中にいる。
パソコンの前に仮想空間が広がっている。
ここに勝機があると最近思う。
日常だからこそ落ち着いた判断もできる。
リラックスしすぎるのもデメリットかもしれないが、そこは個人の配慮に任されれる。
日常の中でこそ、ちゃんと目で見たものを正常に認識できる。
脳が大興奮するパチンコ屋では判断力はバグる。
日常の中で磨くものこそ本当に光るものが自分の中に宿ると思う。
それは小さい努力や小さい習慣で身につけるものたち。
それが自分の武器。
それもまた現実、実態を伴わない仮想のものだが、誰にも奪われない。
知識、経験、習慣、思考。
誰にも奪われないもの、自分の目で見るものだけが本物。
お金は実在しちゃうから奪われる。
お金を生む自分の脳や身体は奪えない。
操り人形にでもならない限り。
・・・テレビやマスメディアはそういう意味で小さく洗脳に成功しているよね。
こわっ。