毎日何してんだ?
ふと立ち止まって自問自答する。
今日の俺、何してた?
ひとつでも良い習慣を継続できた?
一つでも悪い習慣を減らせた?
そう考えるようになった。
人生を変える本に出会うために気になった本やKindleの即買いを自分に課している。
本の値段に躊躇しているようじゃ、これから先の人生でする大きい決断はできないだろう、と。
そして、本を買う手を止めるということはそれすなわち読書しないということ。それはつまり新しいことを学んでいないということ。行き着く先は成長していないってこと。
読書をせずとも仕事を通して人生に必要なことをいろいろ学べることももちろん知っている。
しかし、人生に必要なことと、この資本主義で生き延びることに必要なことは色が異なる。
この世界で生き延びるため、他者と差をつけるためには、周りと違うことをしないと行けない。
それは他人から見たらつまらない読書であったり、何のためにやっているか分からない筋トレだったり、成功しているように見えない副業だったり、誰も聞いてないような情報発信だったりする。
最近、自己責任マインドをよく目にする。
そして、それを強く意識している。
誰かに見られたりしたらどうしようとか、誰かに笑われたりしたらどうしようとかどうでも良くなった。
笑いたきゃ笑えばいい、バカにしたけりゃバカにすればいい。
自分だけが、自分のやっている価値をよく分かっていればいい。
他人が、外野が、周りの人全員が諸手を挙げて賛成するような、毒にも薬にもならないような無難で安牌狙う行動を一切しないことだ。
誰かに顔色を伺ったり、機嫌を取るためだけに生きているわけじゃない。
他人の感情のゴミ箱役を抜け出すために、なにか一つでもよい習慣を継続することだけを考えるんだ。
自分だけが、自分を褒めれる。
自分だけが、自分の行動に責任を持てる。
自分だけが、自分の時間(=命=お金)を自由に使える。
自由に使えるものはすべて自己責任だ。
お金も、時間も、意志力も、労働力も。
お金が貯まらないのも、オンナにモテないのも、給料が低いのも自分のせいなのだ。
それを嘆く暇はない。
不平不満や愚痴をいっても一円にもならない。
それよりも本読んで1行でも知識を取り入れ、ツイッターでアウトプットし、チャート1枚見て考える方がよっぽど生産的だ。
サバイブする力というのは一人でしか身に着けられない。
誰かと手をつなぎながらは走れないのだ。
誰かをおんぶしたり、抱っこされたりしていては荒野は生き残れない。
一人で行動して、試行錯誤して、あーだこーだと壁にぶち当たって、悔し涙を流しても、歯を食いしばって何度も立ち上がる。
そういう孤独な時間が人を育てる。
決して、赤ちょうちんの下で愚痴り合う時間で人は成長しない。
たまに息抜きは必要だと思うけれど。
誰かに時間やお金を吸い取られているときも成長できない。
つまりお金や時間を消費している時・・・テレビやSNS、ソシャゲ、エロ動画、YouTube、飲み会、パチンコ、タバコ・・・誰かの時間を吸い取ることで利益が出す人達がいる。
このことをよーーーーく理解していおくべきだと思う。
自分の時間が誰かに、静かに、知らぬ間に、奪われているんだ。
それは習慣的に行われていて、社会の常識であるかのように語られている。
テレビがない
酒も飲まない
タバコも吸わない
遊びにも行かない
友達いない
こういうよくある娯楽から離れて、周りから変人扱いされてからがスタートなんだ。
あいつ、休みの日に何してんだ?って・・・。
牙を研いているの。
それは好きあらば消費させようとしてくる社会の構造を勉強したり、自分の体を鍛えたり、資本主義でサバイブするだけの力を身に着けようと訓練したりすること。
でも、一切他言無用。
自分の成長や努力は自分だけが分かっていればいい。
外野の評を気にしない。
言っても無駄。
一円にもなりゃしない。
人は隣のやつが這い上がろうとしたら足を引っ張るのが本性だ。
隣のやつが成功したらあることないこと言ってケチをつける。
そう愚痴を言い続けるその習慣が永遠と続く。
会社に文句を言う思考でものを考えるから、いつまでも同じ場所に留まる。
愚痴を言うのも自由だが、今自分が立っている場所が現在地なんだからそりゃあ自己責任でしょう。
抜け出すためにリスクを取るのも怖かろう。
しかし一方で抜け出せないがためにリスクを取らないこともリスク。
同じリスクを取るならどっちが良いかという話。
同じ場所にいて腐るのはゴメンだ。
蠱毒より孤独。
孤高の道を歩もう。