FXの森

負け続けて7年目の初心者脱出記録

依頼心があるうちは1mmも成長しない

多くの本を読んできて、やっと思い至ったことがある。

誰かの本や、ブログ、投資情報に頼りっぱなしだと成長していないことに。

虎の子のお金を相場に晒すにあたって、最後の最後の判断は自分。

なのに、その判断基準を誰か他人に任せっぱなしだといつまでたっても独り立ちできなくなる。

 

人は情報を見る時、脳のバイアスがどうしてもかかる。

頭では参考にしないと言いつつも、脳はそれを脳のどこか片隅にそれを置いていて覚えている。

 

30年前は情報不足で負けることが多く、情報1つで勝てたのかもしれない。
しかし、現代は情報過多、つまりは情報が多すぎることで負けている。
ゆえに、現代で勝つにはいかに情報を捨てるかに焦点が当てられるべき。

 

本を読むのは、本を必要としないことを学ぶため。
おお、なんという利益相反行為であろうか。


本を売る、モノを売るというのはいわゆる恐怖や強欲を煽るほど売れる。
しかし、投資にはそのどちらも必要としない。
世の投資情報は恐怖と強欲を孕んでいることが当たり前だから厄介だ。

 

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増田蔵人著、投資家による投資家のための初歩からわかる行動経済学超入門
この本を読んで、僕は考えが固まるに至った。
投資が上達するのに情報は要らない。
情報を捨てろと。

 

そう、僕は今まで読んだ本を忘れる作業が必要なのだ。
本に頼ることをやめて、自分とチャートとの対話を見つめ直さねばならないことに気がついた。

今まで多くの本やブログを読んできた。
今読み返してみても素晴らしいブログや本はあったように思う。
しかし、いくら良書を読んでも資産2倍は1度もしたことなかったのだから、全て無意味だった。

なにかに頼ることを辞めなかったから、責任を他人になすりつけていた。
投資は自己責任、そんな当たり前の言葉を頭空っぽにして反復していた。


投資は、上達を自分で定義しないと何も成長を測れない。
技術は全て目に見えないからだ。
結果は数字でしかないが、プロセスは全て数字に表せないから。
トレードは外見からして、なんてマウスクリックするだけの簡単なお仕事でしかない。
しかし、中身はよくよく訓練して練られた行動と思考、分析の数々である。

 

食べたもので人間の体が作られる。
取り入れた情報でトレードの土台が作られる。
だとしたら、もっと良質なものを取り入れるべきではないか。
ジャンクな情報は避けるべきだし、害悪でしか無い。

ジャンクは美味しいが食べ続けると健康に悪い。

 

僕はもうニュースサイトのアプリを消した。
経済のこと知るのは楽しいが、こと投資においてはバイアスを産むからだ。

 

Twitterも離れるようにした。
他人の情報にふれると嫉妬したり、自分の判断がブレるからだ。

 

人から離れた。
トレードは誰にも理解されない仕事である。
負けて当然のゲームで、「辞めておきなよ」と言われるのが正論であるからだ。
でも、俺は20年後会社から放り出されたら何も出来ないような人間になっていたくない。
見返りが大きい投資にかじりついていきたい。
他人に分かってもらう必要もない。

ゆえに誰にも話せない。話さない。

 

投資は孤独になってからがスタートだと思う。
情報を断ち、人を断ち、チャートと己に向き合って、どうしようかと頭抱えて悩みながら四苦八苦して悩み抜く作業が必要である。

 

人は弱い生き物だ。

孤独に慣れないと何かに頼りたくなる。

生き物は群れてこそ生き残ってきた。

しかし、投資は本能に逆らってこそお金が残る。

群れから離れる勇気を持って一匹狼になり、生き残ってこそ掴める金脈がある。

投資家になるということはそれの証明。

 

誰かと報酬を分かち合うこともせず、リスクを分けてもらうこともしない。

喜びも悲しみを全部背負い込んで1人荒野を行くのみ。