知り過ぎる罪、知行合一の刑
今の人達はスマホで知りすぎてしまった
経済、世界、エロ・・・etc
知りすぎるという知識先行感が、物語のエンディングをさも見てきたかのような全能感を生み出してしまう。
物事は経験してしてこそ尊いものだと思う。
けれど、そこで達観に似て非になるものを抱いてしまう不幸がある気がしてならない。
物語を沢山知るよりも、自分が主人公になった方が得られる経験値は高いと思う。
ゲームの実況動画ばかり見るよりは、自分でやる。(勿論、実況動画の面白さもあるのは承知の上で)
自分でやってみて面白いけど、他人のプレイも見てみたい。そういう思いから生まれたのが実況動画じゃないのかと思う。
だけど、ここまで実況動画が流行り過ぎると、まるで自分は全部プレイしてきたこのように語れてしまう。実況者はそこまで感動させる、楽しんでもらったのなら本望だろう。
しかし、いちプレイヤーになる楽しさをどこか置き去りにしてきた気がする。
実際に自転車を運転出来るようになるって、文字以上のストーリーがある。
自分の自転車を選ぶ、補助輪付けて走る、友達や兄弟を追いかける、補助輪を外してコケる、手放し運転も出来るようになっちゃう。
自分の肌感覚による経験値の積み重ねられる。
ペダルを漕げば乗れる、なんていう知識以上のものを得ている。
知識を疑い、自分の目で、手で確かめるよう追体験してみる。
傷つき、乗り越えた体験が血となり肉となる。新しい体験になれば毎回そう。
その新鮮味をネットの無料、タダが奪っている。いや、奪われていることに無自覚であることが問題だと思う。
エロにおいてもそう。
エロ本が手に届かない存在だからこそ希少価値があった。
今はネットさえつながればBLから○リまで、よりどりみどりだ。
毎日がバーゲンセール状態。もってけドロボー状態。
そりゃーネットだけで満足してしまう中毒性がある。
探せば無限大、自分の好みに答えてくれる素材の宝庫と化している。
自分好みの女性にアタックするハングリーさを激減させる。
牙を抜かれたオスになってしまう。
古代でも、現代でもオスは牙を持ってして戦う運命だ。
食べ物という獲物が、お金という通貨に変わっただけ。
この資本主義、格差社会である時代において自分のオスである証明を勝ち取る。
それが俺にとっての手段の一つがFX
知ることより、情報を検索することよりもっと大事なことに目を向けよう。
知るより行動。知った上で行動。ずっとニュートラルでアイドリングしていたって、ちっとも進みやしない。1速でもいいから進んでいく勇気を持とう。
知る、そして動く
この両輪があってこその前進
今も昔も、人を成長させるのはアクション
コレ読んだら、すぐ検証作業して悩むのだ。
自分が負けている理由は?
まずは一つ改善するためにこれをやってみよう。
やり続ければ、また色んな事が見えてくる。
保証しよう、動けば必ず成長する。
自分にも言い聞かせて、筆を置く。