男に必要なのは実績と孤独に耐えられるメンタルです
はてさて、自分を燃え尽き症候群と診断した鴨ロンです。こんばんは。
依然として、チャート恐怖症です。
常にFXのことを考えているのに、頭の中にチャートは描けないんです。
チャートを想像して考えるよりも、FXをせねば・・・投資をせねば・・・このままじゃ勤め人(常勤バイトだけど)のまま死ぬ・・・しかし、投資は長き道、成功確率は低い。
なのに次の一歩がどうすればいいのか分からん。
チャートを検証すればいいことも分かっている。
しかし、そのチャートをまとも見れないとはどういうことだ?
原因が分からん。
・・・ちーん。
多分拒否反応なのかなーと。
失敗への恐怖が自分でも意識できないくらいの大きさになり、それが心理的にブレーキになっているのだと思う。
資金飛ばして退場したわけでもなく、検証結果が散々だったというわけでもないという。
トレードの前の、デモトレードの前の、検証の前の、チャートを開く段階で詰まっているという自分が見たことも考えたこともない問題にぶち当たっています。
参ったなー。
ストレスなのか、80冊ほどPHP研究所の半額セールでKindleを爆買い。
しかーし、もうすでに読書も落ち着いて読んでられない。
前回のブログで映画はすでに落ち着いて見られないと書いたが、事態は緩やかに深刻化している。
せっかくニーチャアなんていう5万もするリラックスできるイスを買ったのにねー。
最高の読書環境が揃ったにもかかわらず、読書ができないのは辛い。
選書も、自分のストリングスファインダー診断結果を参考に戦略系の本を選んだのに-。
しかし、この不安や悩みは誰にも話さない。
というより話せない。
ただただブログに書き記しておくだけ。
それは未来の自分が成長した時に、こんなことで悩んでいたんだと振り替えれるようにするため。
そして、それは過去の自分と同じ様な境遇の人が必ず1人はいると思うから。
誰にも理解されずに、誰からの共感も得られず、世間一般の常識や社会規範から外れるルートをたどる人たちへの道しるべに・・・する。
まぁ、所詮は自己満足のためのブログです。
乱文を読む人はいるわけないと分かっているので。
日記は自分で読み返すだけのもの。
孤高のイメージがあのマンガによって決定づけられたような気がする。
ブログは自分を奮い立たせるメッセージを書いているような気もする。
こんなところで負けんなよって。
先日、聖帝先生のセミナー第2弾が発表されましたね。
僕は第1弾の時、本当は金曜の飲み会セットの方に行きたかったんですが、セミナー情報を知ったのが土曜チケットが残り数枚っていうタイミングだったので選んでられなかったんですよね。
で、今回は念願の飲み会だけの参加も認められているわけですが、参加はしないです。
本当は参加したい。
青雲の志の思いを共有する方たちと刺激し合いたい。
しかし、そのタイミングではないと個人的に思っているから参加を控える。
行動できていないし、成果は出てないが、次は(というか今も)行動する段階であると自覚しているから。
(いや、普通は自覚しているなら行動するんだけれど・・・)
ゴールを設定できて、自分の信念を固めたら、後は行動するだけ。
セミナーは刺激をもらうだけの場所。
セミナーを聞くだけで結果が出るならこの世は億万長者だらけだ。
セミナー参加の意義は自分の目指す道に誤りはなかった、自分の見てる世間の構造の認識は合っていたと再確認するためだった。
その目的は果たしたから、飲み会の誘惑もあるが我慢する。
この回は禿同(激しく同意)だった。
僕は常々投資は一切他言することなかれと思っている。
その対象は家族、親族、恋人、友人、知人、恩師、同僚、上司、部下、近所のおばちゃん・・・そう、自分以外は全員に言ってはならない。
それは過去、ボクがもう周りから散々ねたみ、そねみ、悪口、嫌がらせ、批評を言われたから重々承知している。
他言しても良いこと1つもない。
お金くれるわけでもない。
スゴイネーと褒められたりしても、結局は人間は自分にも益がないかとおこぼれを迫るだけ。
というか、継続的に稼ぐ力がなければ凄くないし、そもそもそういう類の能力は評価されづらい。
投資で成功するなら大衆の逆を行けというのが負けない人の共通見解だ。
パチンコをトータルで勝てない人間と同じ思考回路で生活していては絶対に投資で勝てない。
そいつらと距離を置くのは当たり前で、話が合わなくなるのは自然だ。
宝くじとパチンコの控除率や、会社や資本主義の構造を知らない人と同じ目線で語れるわけがないんだ。
他言無用というのは1人で頑張れということとイコールだ。
それは誰にも応援されず、誰の手も借りられないという背水の陣に自分の身を置くことにほかならない。
孤独に耐え、怒りも悲しみも苦しみも一身に引き受け、喜びも楽しさも1人で噛みしめねばならない。
今度は投資で成功しているなどと言えば、魑魅魍魎がタカってくるからだ。
それは世間に対する見栄だったり、今までのコンプレックスの発散だったり、お金からくる誘惑などだ。
銀行からの投信の案内かもしれないし、証券会社からのオススメの株の案内かも知れないし、どっかの怪しい投資案件の話かもしれない。
お金を0から1産み出したら次はその1を100に育てた後は、その100を守る段階も出てくる。
投資やる以上は、一生投資家なのだ。
一生涯誰にも共有できない孤独を抱えるという覚悟にちゃんと向き合った者だけがイバラの道を突き進む事ができる。
青雲の志を持つものなぞ、自分のレベルが低いうちや実績がないうちは出会えるものではない。
もし会えたとしても、自分が成長していって話が合わなくなると縁は自然と切れる。
次のステージへとあがるからだ。
これは勿論自分が置いてけぼりを食らっても同じだ。
基本的に、ステージが違う人とは交われないのだ。
職業に貴賤なしが嘘であるように、人間にはステージがある。
階層がある。
イギリスの貴族階級と庶民との差ほど明確ではないが、確かにこの日本にもハイスペと低スペとの階層分けがある。
その壁はとても分厚い。
だからこそ、脇目をせずに突き進む時期が準備期間含めて数年は時間が必要だ。
その数年というのは潜伏期や行動できずに傍観していて悩んでる時期も含まれる。
しかもその歯を食いしばる年数というのは、自分のコスト体質にも左右される。
ボクのように見栄がなく低コスト体質なら時間の支払いは短くて済む。
しかし、見栄っ張りで車、家、趣味に費やす人は永遠と階層分けの壁は超えられない。
高コスト体質の人は年収が高くなっても、仕事を変えても楽にはならない。
大衆先導のテレビに洗脳されて消費することだけしか出来ない人は、永遠に資本主義の構造に搾取され続ける。
この消費社会から逃れたいだけで、世界を変えようなんて思っていない。
自分の中の色々な感情を我慢しつつ、またいちから習慣を積み重ねるしかない。
DaiGoに学んだ。