紀里谷監督に後頭部からレンガを叩きつけられて目を覚まそう
後頭部からレンガを叩きつけられるような内容。
— 鴨川トモロン (@kamogawa007) 2016年11月23日
夢があるなら、なぜ命をかけないの? 紀里谷監督が若者に檄 https://t.co/E1EGDDlCRN @logmijpさんから
以下引用
太字は私が付け加えてます。
最近喜んだことって何だろう? 案外ないはずですよ。楽しいことはあったとしても。「最近喜びはあったか?」っていうことだと思うんだよ。
だから信念がなければできない。状況をみると圧倒的に不可能。圧倒的に不利。圧倒的にできないと思っちゃう。その状況の中でも「できる! できる! できる!」って自分に言い聞かせながら、時には居直って、最後のほうは毎日居直ってた。
単純な話だよ、皆さん。夢がある。いいですよ、そりゃ夢があって。やるんですか、やんないんですか? 今やるんですか、やんないんですか? それだけ。私にはお金がない、時間がない、資格がない、教養がない、どうだからこうだから。延々その話じゃん。延々……。
どっちになるのって話。矢沢さんじゃないけど、やるほうですか? やんないほうですか? 本当その通りだと思うよ、俺は。
いいですか?自分の家族が殺されると思ったら、何でもできない? 何でも、逆に、しませんか? 自分で勉強しませんか? インターネットで探しませんか? やり方を。
「お金どうやって集めてくるか」なんていっぱい書いてあるはず。「お金持ちの人にどうやって繋がるか」なんて考えればいいじゃないですか。そのために俺は手段を選ばない。だから「何かを教えて貰おう」とか「何か近道があるんじゃないか」とか、ないよね。でも、ここに希望を持って欲しいんだけど、今始めればできるんだよね。確実に。つくることはできる。それがおもしろいかおもしろくないかはわからない。それは人が決めること。それはオーディエンスが決めることで、しょうがないじゃん、それは。
何を心配して、何のリスクがあるんですか? あなたは何を持ってんのって話だよ。そんなにリスクを心配するほど、あなたは何を持っているの? そんなにお金持ちなの? そんなに地位があるの? キャリアがあるの? 何を失くしたら困るの? わかる? 皆さん。単純な話、やりたいのか、やりたくないのか。つくりたいものを、つくりたいんですか、つくりたくないんですか? そういうことしか言えない。どうでしょうか?
本当に、日本の若者よ、今がチャンスです。何故なら周りの人間が皆ぬるいから。皆ぬるいから、今そこで目を開いて「やろう」と思って必死になって命かけて何でもできると思う。特にこの国では。ぬる過ぎるし仕事をしない。大人たちが仕事をしない。「どうやって休もうか」とかばっかり考えている。「どうやって楽しようか」ってことばっかり考えている。これは海外に行けば本当にわかると思うけど、俺から言わせると、日本ほど仕事をしない人たちはいない。日本人は勤勉だとか思ってるだろうけど、もうびっくりするよ、そのルーズさに、そのぬるさに。「何でこんな仕事しないの?」って思うし、「何でこんなに頑張らないんだろ?」とか思っちゃう。何で命かけてやんないんだろ。命かけてやっちゃうと「意識高い」とかさ、「熱いですね」とか言われちゃう。横から妨害が入っちゃう。でもね、俺から言わせるとチャンスだなと思う。突き抜けていくチャンスだよ。この国にはお金はいっぱいあるわけだから。いっぱいあるよ。映画だったらここからいくらでも集められると思う。それで映画つくって世界中に見せればいいじゃんって、俺は思ってる。だからもう、これからの選択肢は、あなた方次第。ぬるい中でやっていくのもいいし、それでも食べていけるでしょう、何となく。しかし、全てを賭けて、毎日毎日、必死になってやっていけばものすごい結果が出る。こんなチャンスがある国は他にはない。アメリカはこんなにぬるくないもん。というのをわかってほしい。まあ俺がこんなこと言うと「極論ですよ」とか「キツ過ぎますよ」とか「過激」とか「刺激があり過ぎですよ」とか、いつも言われます。そうでしょう。だったら、ぬるい話聞いていればいいじゃんと思うし、そっちを信じてればいいじゃん。でも、そういうこと言う大人は、あなた方のことを「どうでもいい」と思ってる。
他にも、評論家による酷評をどう思っているのか?という疑問に対しての答えを載せたいが、ここまでに留めておく。
それに関する質疑応答は、信念を持った方なりの毅然とした態度で、背筋が伸びる思いをした。
お金で買える楽しさじゃない喜び
喜びがあるか?と聞かれて、しばし思案したがここ2ヶ月で英語の会話能力が少し伸びたくらいだなと。(トレーダーなのにね)
トレーダーは一般的に稼ぐという結果で成長を判断されがちだ。
実際稼げなきゃ、ただの豚だ。
ただ、稼ぐという結果にスポットライトが当てられがちだが、本当はその過程(プロセス)にものすごく価値がある。
成長していくにあたって、資金管理やメンタルの在り方、手法に対する考え方などが磨かれていく。
それぞれの能力の合算、または成長した分の上澄みが結果を産む。
しかし、稼ぐという事がまるで魔法のように為替や株価の上下を当てられる、そう思い込む外野のひともいる。
アナリストに億万長者がいないように、彼らは分析するのが仕事であり、予想で稼いでいるわけではない。
予想の材料の提供のより、損益(主に損失)を出す人の言い訳や根拠にされているだけ。
稼ぐという能力は、予想の当たりハズレで成り立っているものではない。
リスクについて
私はこれをとても重い問題だと捉えている。
なぜなら、今まで積み重ねてきた常識や環境により、それで縛られている価値観がいまだ存在しているから。
それを働かなくなって半年以上経つのに感じることがある。
誰かに何か言われるんじゃないか?
誰かに良く思われないんじゃないか?
誰かに・・・
誰かって誰だよ!
何かって何だよ!
いつもそういう思いがこみ上げてきた時には、それを打ち消している。
誰に何を言われようが殺される訳じゃない。
友達と縁は切ったし、FBで誹謗中傷の嵐というわけでもない。
外野がいくら野次を飛ばして、それらの言葉を素直に受け止めて傷ついた所で何の得にもならない。
自分の中に確固たる信念を持って、罵詈雑言を左から右に受け流す。
スルースキルを持つというのは大事な習慣の1つだと思うようになった。
そして、自分はまだ若いからチャレンジできるという時間のアドバンテージがある。
定年後から株式市場に参加して退職金を増やす、35年ローンと養う家族を抱えながらの投資というわけでもない。
若者特有のリスクの低さを武器にすべきだ。
新卒切符というゴールデンチケットは溝に捨てているが、サンクコストとして割り切る。
やるかやらないか
To be or not to be.
結局自分のやりたいことをやらないでぬるい人生を送ることは、主体性がないからして死んだも同然。
そして、それは自分ではなくただの市民Aとして、無機物の歯車と化していると言える。
矢沢永吉は今でも言っている。
「やっちゃえ」
やるかやらないかじゃなくて、もう「やっちゃえ」!
これこそJust do it!!そのもの。
えーちゃんにはやらないという選択肢がそもそもない。
そのスタンスに痺れる・・・。
ほとんどの人間がスマホを持っていて、それらは全て0と1の信号によって作られている。
イエスかノーだ。
つまりやるかやらないかは、0と1どちらになるかではないか。
選ぶなら0より1だよね。
やらないを続けることは0に0を掛け合わせているだけで、リスクもないがリターンもない。
何もしない事そのものがリスクとも言われているので、結局やらないことはハイリスク・ノーリターンとも言える。
だからこそ、「やる」という選択に一歩踏み込むこと。
そういう道を歩き出す勇気が今の時代に求められている。
そう感じる。
ぬるま湯は気持ちいいけどハマったら出られなくなる
熱くなるのはやめておこう、本気になったらださい、失敗すると笑われる、無理だと諭される、危ないからやめとけと警告される・・・。
全部ぬるま湯温泉からの帰還勧告。
一切耳を貸さない。
出る杭を打ちのめしたいだけ。
打ちのめされても、出続けるためには奴らの言うことに恐れを抱いてはいけない。
恐れているのは彼ら(ぬるま湯に浸かりながら石投げている人たち)の方なのだから。
何言われてもいいし、どんな評価を下されても良い。
それがどーした、ボク○○えもんー♪
そう心のなかで唱え続ける。
突き抜けよう。
極に振れよう。
誰かのために、何かのために生きてるんじゃない。
他ならぬ自分のためにまずは生きよう。
他はそれからだ。