FXの森

負け続けて7年目の初心者脱出記録

損失への理解

損失への理解

長年負け続けてきた理由として、損失の意味をずっと勘違いしていた。
負けるのは嫌だ。負けたくないから伸びるポイントでエントリーしたい。
損切りも当てたい。負けたくないから高勝率にしたい。
損切りを当てようとすると持ち時間も長くなって疲弊する。
次のチャンスに備えられない点で不利である。

>蜂谷すばるとひろぴーの対談1話
サラリーマンで疲れてスキャルは無理があると。
副業ブームだし、高勝率の手法は耳障りがいいから皆最初飛びつく。
多くは負けてやめる。やはり相場は才能が必要だ。
もしくは聖杯を見つけるべきだとセミナーやサロンに参加しまくる。
見つからないありもしない聖杯探しに心血注いで頑張る。

しかし、一方である人は高勝率を求めるのは間違いなのではないかと思う人が出てくる。
そこで低勝率でもいいから長期的に見て勝てるスイング手法を試しだす。

早く儲けたいから短期売買に走る。
相場を見る時間が少ないから少ない時間で決着がつくスキャルを好む。
沢山儲けたいからlotを張る。
負けたくないから損切りをせずに引っ張る。建値まで粘る。そしていつか大損害になる。
損小利大にしなくちゃと思いながら、小さい利確、大きい損失を繰り返す。コツコツドカン。

失敗する行動は大体みんないっしょ。
ぼくはロジックのごっちゃ煮。混ぜるな危険を混ぜ混ぜ。
味音痴な人がやるメシマズ嫁を相場でやっていた。
レシピ通りにやらず自己流でなんとかしようとしていて結果が出なかった。


話がずれた。こうして失敗の連続で損失は積み上がる。中には一撃で大損失を被る人もいる。
相場で成功した人の多くは多額の授業料を相場に払ったという。
損失を損失のままにせず、そこから学んだはずである。
相場を退場する人、負け続ける人は損失から学んでいないのである。
損失から出されるメッセージに対して、無自覚であるから素通りしてしまう。

僕は今まで、損失は必要だと頭では分かっているけれど、行動実践には移せていなかった。
デイトレード』に「逆境--損失--はマーケットから得られる最高のお土産である」
この言葉を素直に受け止めていなかったのである。
いやいやお土産なら美味いもんにしてくれよー。苦味がきつすぎて返品したいくらいだわー。って思ってた。
というかお土産に数百万とか数十万円って冗談きついってーーーと。
アホですね。相場から「自分の至らない考えなど捨てよ」というありがたいギフトをないがしろにするとは、なんて罰当たりな。
勝ってないから勿論バツを受けているわけですが。

負け続けて8年、ようやく損失をただの痛みだとは思わず、最高の教師であると認識し始めた気がする。
痛みから学ばないでいると、損失の連続や負け続ける時期は心底苦しいものでしかない。
負けてなお学ぶことがある。そう思いながら必死で努力した人だけが無駄な損失を減らすことが出来るのであろう。
僕は本当に負けから学ぶこと、すなわち自分へのメッセージに対して鈍感がすぎた。
見て見ぬ振りをしてばかりで、身から出たサビを直視する勇気がなかったばっかりに遠回りをする羽目になった。

それはトレード日記をつけなくなった今、やっぱり日記をサボっちゃいけないと思うようになりました。

 

これ書いたの14日なのに、トレード日誌書く気になれない。

すっかり習慣から抜け落ちてしまったようで。